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居住者本位の厳しい基準

2018年3月10日「土曜日」更新の日記

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 アメリカはともかく国土が広く、地価が安い。 したがって住宅も格別に大きいものが多い。 隣の家へ行くのには、歩いて5分ぐらいかかるというようなこともざらである。  アメリカは自由主義国だから、住宅建築も企業や個人が自由に行なっているかというと、そうではない。 非常に厳しい規則がある。 住宅地を開発する場合でも、日本のように簡単にはいかない。 それは、土地利用を計画的に行なわなければよい街づくりはできないという考え方が国民に浸透しているからだ。 デベロッパー(開発業者)もそれに協力していく社会的責任を感じている。 だから、アメリカのデベロッパーは職業的誇りに満ちている。 自分たちは社会的に重要な役割を果たしているのだ、街を開発し、よい住環境を人々に提供しているのだ、という意識が強い。 それだけに自治体の厳しい規制に従い、よい住環境をつくることに努める。  日本の業者は、宅地開発や住宅建設に際して、学校用地の提供など公共施設整備の負担を業者に義務づけた「宅地開発指導要綱」に文句をつけている。 東京都武蔵野市はこの問題で不動産業者に訴えられて敗訴した。 こんなことはアメリカでは考えられない。 開発で利益を得ている企業がそのような負担を義務づけられるのは当然だという認識があるからである。  宅地開発にあたっての規則の厳しさは、なんでも自由にすることが自由主義経済だと思いこんでいる人には想像もできないほどだ。 費用の負担だけでなく、十分な計画性をもった開発プランでなければ、自治体は許可しない。 さらに開発の際には、周辺住民の同意がなければ絶対に認められない。 家を建てると、たとえそれが一軒でも、周辺になんらかの影響を与える。 平屋の南側の土地にマンションを建てればたちまち日照が悪くなる。 日本ではこんな場合、その建物が建築基準法に適合してさえいれば許可されるが、アメリカでは周辺住民の同意なしでは絶対にダメだ。 もうすこし大きな開発の場合には、それが完成するとどういう地域になるのかを周辺住民に説明し、住民同士が議論し合えるようにしなくてはならない。 そういう点ではアメリカは非常に民主的な国である。  宅地開発ばかりでなく、住宅そのものにも厳しい基準がある。 連邦政府住宅都市開発省の出している住宅基準は、アメリカ全土で守られるべき住居の最低基準(ミニマム・スタンダード)であるが、居間・食堂・寝室・浴室と便所・その他の部屋がそれぞれどうあらねばならないかを決め、プランを例示し、家具間の最低のゆとりは何センチということまで指示している。 たとえば居間についてはこうだ。 「各住居には、楽しくすごし、読書をし、手紙を書き、音楽を聞き、テレビを見、くつろぎ、いつも子どもと遊ぶ、そんな一般的家庭生活、集団活動を引き出す空間がなければならない」  少なくともこれだけの条件は満たすような居間がなければならないというのだ。 これはほんの一例で、住宅のすみずみの個所についてびっしりと基準が設けられ、強制されているのだ。  ベトナム戦争以来、何かにつけてパッとしないアメリカだが、こと住宅に関するかぎり、日本とは雲泥の差である。 それもこうした規制と、それを支持する住民の認識があるからだ。

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