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豊かな住まいが実現されない本当の理由

2018年3月19日「月曜日」更新の日記

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 政府の住宅政策によって公営住宅が建設され、衛生状態が改善されていくことはもちろん大切だし、その影響も大きいが。 やはり家を建てたり買ったり家賃を支払ったりしているのは個人である。 私たちの住居は、はたして社会的な富としてのストックになっているだろうか。  そもそも私たちはなぜ働くのだろうか。 ひとつには、働くことが生きがいだからという面がある。 労働が生きがいであり喜びである、とストレートには言い切れない職場の状況、管理社会の進行もあるが、それでも働くことに人生の意義を見いだして頑張っている人は多い。  働くことのもうひとつの意義は、みんなが働いて立派な家を建て、よい環境をつくって、社会の富をつくり、それを積み重ねていってより人間らしい生活のできる社会を実現していくという側面である。  日本は戦後著しい経済成長を遂げて、富はあるはずだが、欧米の住宅に比べればまだまだ貧弱な住まいであるのはなぜだろう。住宅に対して投資していないのかといえば、そんなことはない。 すこし古い1977年の数字だが、諸外国の対GNP比4~7パーセントに対し、日本では7.4パーセントも住宅に投資している。 1000人当たりの建設戸数でも、諸外国の7、8戸に対して日本は14戸。 ほぼ倍である。 ものすごく家は建っているのだ。  それなのに日本の住宅はどうしてこんなに貧しいのか。 それは日本の住宅がストックになっていかないからである。 イギリスや西ドイツと日本を比べてみると、現存する住宅のうち1971年以降に建てられた住宅の割合はイギリスと西ドイツで12パーセント、日本ではなんと36パ ーセントだ。  西ドイツでは第二次大戦で国土全体の5分の1の住宅が破壊された。 日本でも多くの住宅が破壊されたが、西ドイツほどではなかった。 しかし西ドイッでは、水準の高い立派な家が数多く建設された。それが社会のストック(資産)になっている。  住宅の耐用年限には、建物が頑丈につくられているという物理的耐用年限と、何年かたって家族数がふえても大丈夫なように最初から広い家になっているなどの社会的耐用年限がある。  日本では戦後30数年になって鉄筋の公団住宅でさえ建て替えなければならなくなっている。 木造の民間アパートなどは15年から20年ぐらいしかもたない。 西ドイッでは、住宅というものは100年もたなくてはいけないと決めている。  日本では物理的耐用年限、社会的耐用年限の両方が短いだけではなく都市計画事業のためにどんどん家を壊している。 これを改めないかぎり、日本の住宅事情は好転しないだろう。  都市は長期的な計画のもとにつくられなければならない。 土地の利用や道路の建設などのために既存の住宅が簡単に破壊されてしまうなどという愚挙はもうやめるべきだ。  最近になって政府もセンチュリーハウスなどという名称で、1世紀もつ家を建てなければならないといっている。 それはよいことだが、家だけが100年もっても、まわりの環境が破壊されたり激変しては、そこに住み続けることができないということにも留意してほしいものだ。  ヨーロッパでは最近、都市の再開発事業というものはほとんど行なわれていない。 既存の住環境がそれによってそこなわれてしまうからだ。 それに代わって、現在の住宅を補修して住み続けること、また建物の用途を変更していくことで新しい時代に対応しようとしている。 社会的ストックとしての居住環境を形成し、保存していく意味で、見習うべき方向であろう。

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